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テーマ:季節の変わり目

日本では季節の変わり目をどう過ごす?

お彼岸(秋彼岸)

現地の日付
2026年9月20日–2026年9月26日
いつ?
秋分日を中日とし、その前後三日ずつを合わせた七日間。

秋の彼岸も同じく秋分日を中日とする七日間で、暦要項の彼岸の入りは二〇二六年も二〇二七年も九月二十日。供えるものはぼたもちからおはぎに名を変えるが、中身は同じ菓子で季節によって呼び分けているだけである。ここでは仏教の行事と国の祝日が、日付だけでなく理由まで一致している。秋分の日の趣旨そのものが「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」だからだ。

お彼岸(春彼岸)

現地の日付
2027年3月18日–2027年3月24日
いつ?
春分日を中日とし、その前後三日ずつを合わせた七日間。

彼岸は雑節であって祝日ではない。春分日を中日に前後三日、計七日間で、暦要項に載るのは「彼岸の入り」——二〇二六年の春は三月十七日、二〇二七年は三月十八日である。墓参りをし、寺では彼岸会が営まれ、ぼたもちを供える。国の行事ではないが、中日がそのまま法定の祝日なので、実際には天文台が計算した日に墓を掃除していることになる。検索の需要もここに集まっていて、「春分の日」より「お彼岸」を調べる人のほうがはるかに多い。

節分

現地の日付
2027年2月3日
いつ?
立春の前日。立春は太陽の黄経が三一五度になる瞬間を含む日。

節分は祝日ではないのに、暦に関わる日付のなかでもっとも検索される日のひとつであり、その日付は完全に太陽次第である。立春は太陽黄経が三一五度に達する瞬間を含む日、節分はその前日。国立天文台の解説によれば、令和三年(二〇二一)の節分は二月二日で、二月二日になるのは明治三十年(一八九七)以来百二十四年ぶりだった。二〇二五年も二月二日で、二〇二六年・二〇二七年・二〇二八年はいずれも二月三日に戻る。行事の中心は豆まきで、掛け声は「鬼は外、福は内」。京都市文化財保護課の解説は、古くから五穀や塩・砂をまいて邪気を祓う習慣があったとしたうえで、大豆が選ばれた理由に諸説を挙げる——中国の古典に「鬼毒を殺し、痛みを止める」とあること、「豆→魔目」で鬼の目にぶつけて「魔滅」させるという語呂合わせ。まくのは炒った豆、すなわち福豆でなければならず、鹿屋市の資料はその理由を二つ書く。「炒る」が「射る」に通じること、拾い忘れた生豆から芽が出るのは縁起が悪いとされること。農林水産省の和食資料は豆まきを室町時代からの習俗とし、まくのは元来その年の干支に生まれた年男か家長で、豆は自分の歳の数だけ食べると病気にならず長生きすると説明する(鹿屋市は数え年、農水省は年齢または年齢プラス一粒)。北海道・東北・南九州では炒り豆の代わりに落花生をまくことが多い。戸口には別の作法がある。三重県の県史は、鰯の頭を焼いて柊の枝に刺し戸口や窓の外に挿す「ヤイカガシ(焼嗅)」を記録しており、柊の棘と魚を焼く強い臭気で悪霊を退ける。県内では「鬼の目突き」などとも呼ばれ、鹿屋市の資料によれば西日本には飾るだけでなくこの「厄除け鰯」を食べる習慣もある。恵方巻が全国区になったのは新しい。農林水産省の資料は、恵方をその年の歳徳神(年神様)のいる方角とし、十干で決まると説明する(同資料は二〇二三年を南南東と例示)。その方角を向き、無言で、切らずに一本を食べ切る。具は七福神にちなんで七種とすることが多く、切らないのは縁を切らないという意味である。長く忘れられていたこの習俗は、昭和五十二年(一九七七)に大阪の海苔問屋組合が行ったキャンペーンで再び注目され、コンビニチェーンの宣伝で全国へ広がった。いまでは政策の対象でもあり、農林水産省は毎年、食品小売業者に需要に見合った販売を求める事務連絡を出している。令和七年十二月二十四日付のものが二〇二六年シーズン分にあたる。

秋分の日

現地の日付
2026年9月23日
いつ?
秋分日(太陽が秋分点を通過する瞬間を含む日)。春分の日と同じく、前年二月の官報の暦要項で確定する。

同じ法律の中で、秋分の日は十六ある国民の祝日のうち唯一、趣旨に亡くなった人が書き込まれている日である——「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」。日付欄は「秋分日」、決まり方も春分の日と同じ。二〇二六年は九月二十三日(水)で、九月の第三月曜日である敬老の日が二十一日にあたるため、前後を祝日に挟まれた二十二日が祝日法第三条第三項により休日となり、十九日(土)から五連休になる。この条項が働くのは、秋分日が九月二十二日から二十四日の間を動くからにほかならない。

春分の日

現地の日付
2027年3月21日
いつ?
春分日(太陽が春分点を通過する瞬間を含む日)。国立天文台が推算し、前年二月一日の官報に暦要項が掲載されて正式決定となる。

国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)第二条で、春分の日の日付欄に書かれているのは月日ではなく「春分日」の三文字であり、趣旨は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」。実際の日付は国立天文台が推算し、前年二月一日(行政機関の休日なら翌開庁日以降)の官報に暦要項が掲載されて初めて正式決定になる。令和八年(二〇二六)版は令和七年二月三日、令和九年(二〇二七)版は令和八年二月二日の発表だった。したがって令和十年(二〇二八)の春分の日は、いまの時点では法的にまだ決まっていない。天文台の計算値は三月二十日である。二〇二六年の春分の瞬間は日本時間三月二十日二十三時四十六分。あと十四分遅ければ、その年の祝日は三月二十一日になっていた。

冬至

現地の日付
2026年12月22日
いつ?
太陽の黄経が二七〇度になる瞬間を含む日。

冬至は日本では休日にならない。二〇二六年の冬至の瞬間は十二月二十二日五時五十分(日本時間)。習慣は食べ物と風呂に集中していて、「ん」のつく食材として南瓜(なんきん)を食べ、柚子湯につかって無病息災を願う。農林水産省九州農政局の行事食資料はこの日を「一陽来復」と呼び、南瓜が本来は夏の作物で、貯蔵するうちに甘みが増すから真冬の食卓に載ると説明している。同じ瞬間は台湾では十二月二十二日四時五十分、インドネシアでは同日三時四十九分と記録される。ひとつの出来事、三つの時計である。

このテーマは何?

日付を人が決めていない祝日は、これだけである。太陽が黄道上の一点に来た日がその日になる。違うのは、その天文の事実を国がどう法律に受け止めるかだ。日本は春分の日と秋分の日を法律に置きながら月日を書かず、計算を国立天文台に委ね、前年二月の官報で初めて確定させる。

台湾の条例で節気に日付を委ねているのは清明と立春の二日だけで、冬至は一度も出てこない。中国で節気が日付を決める祝日は清明節ひとつ。インドのマカル・サンクランティは、かつて標していた至点から三週間以上ずれてしまった。

アメリカは天文をやめて「三月の第二日曜日」と条文に書いた。

出典と日付

日付は現地の時間帯、暦、公式発表に基づきます。推定または地域差の表示がある場合は出典を確認してください。